屋島の合戦に縁のある史跡を、サイクリング散策するルートです。平安時代末期、度重なる敗戦で都を追われた平家は、再起を図ろうとこの地に拠点を移しました。しかし、戦の天才・源義経の奇襲に追い詰められて…。住宅地にありながら、歴史の足あとが数多く残るこのエリア。地元の子どもたちは、そらで話せるくらい源平史跡に詳しくなります。
ことでん・八栗駅からほど近く。かつてこの辺りは海岸線であり、屋島の合戦では平家が海辺を守る要として、また上陸の拠点として陣を敷いていました。総門はその遺跡にあたります。相対する源氏を迎え撃つべく待ち構えていましたが、合戦ではほどなく源氏に占拠され、形勢が逆転。「夏草や ここにも一つ 髑髏(しゃれこうべ)」と詠まれた句碑もあります。
洲崎寺へ向かう道の途中に、「義経弓流し」と彫られた碑がポツンと立っています。屋島の合戦当時、乱戦の最中に源氏の大将であった源義経は、どういうわけか海中に弓を落としてしまったとされます。それを平家に取られそうになった義経は必死に阻止。小柄な義経の弓は張が弱く、平家に笑いものにされることを恐れての行動だったといわれています。
屋島の戦いで源義経の身代わりとなって討死した佐藤継信の菩提寺として知られている洲崎寺。大同年間(八〇六年~)に弘法大師の手で創建されました。江戸時代中期に四国八十八ヶ所の巡礼を行った「遍路の父」宥弁真念(ゆうべん しんねん)のお墓もあり、讃岐ゆかりの歴史に思いを馳せることができる名刹です。秋には、県の保存木指定となっている大イチョウが美しく黄葉に変わり、見頃を迎えます。
合戦の日暮れ時。海上にいる平家と陸路をわずかな兵で進んだ源氏の戦いは膠着状態に。すると平家の軍船から一艘の小船が現れ、女官が扇の的を掲げたといいます。これを自軍への挑戦と受け取った源氏の大将・源義経は、弓の名手・那須与一に命じました。那須与一は馬とともにこの岩に立ち、見事的を射抜くことに成功。そのエピソードから岩は駒立岩と呼ばれるようになりました。
海路を攻めてくるという平家の予想を裏切り、わずかな兵を従えて陸路を奇襲した源義経率いる源氏軍。作戦は功を奏したものの、徐々に平家が海路から勢いを増し、戦いは激化しました。その最中、大将である義経をかばった佐藤継信が平家の弓に倒れます。佐藤継信は忠臣と称えられ、寛永二十年には高松藩初代藩主・松平頼重公が新しく墓跡を建てました。
予約優先となります。下記にてご利用可能なスケジュールをご確認のうえ、ご参加人数とともにお申し込みください。
自転車は電動アシスト自転車を使用します。体格や身長に合わせて3タイプをご用意しております。ガイドをご確認のうえ、ご自身に合ったタイプをお選びください。
また、各コースともガイドツアーとなります。