見上げれば、だだ広い青空。視界の端には、いつも五剣山(ごけんざん)の緑と切り立った岩肌がありました。庵治石の採石場をのぞむこともできます。
目を落とせば、道路脇に積まれた石の山。石工職人たちがせわしなく行き交う加工場。
すべて、石の産地に生まれ育ち、石材加工を営んできた私たちが慣れ親しんできた風景です。石も、自然も、空と溶け合う瀬戸内の海も、ただ、あるがまま。
港では、情緒ある漁村の暮らしが今なお残っています。まぶたを閉じれば、子どもの頃に駆け回った町の景色を、くっきりと思い起こすことさえできます。
庵治半島。ここで生まれ育った私たちにできるのは、変わらない美しさを大切にしながら、現代的な目線でその魅力を発信していくことだと思います。庵治石もまた、石としての価値を残しながら、インテリアや日常の道具など人々の暮らしにより深く馴染みつつあります。
庵治という地のこれからを可能性に満ちた「遊び」、そして、あなたがあなたらしく、自然体でいられる「遊び」を提供したい。
そんな想いで「遊×島本石材工業」と名づけました。
島本石材工業について
国内最高峰の御影石、庵治石。私たち島本石材工業は、この庵治石の産地で、100年以上続く石材加工会社です。
初代は私、島本健一郎の曽祖父・伊太郎。相撲と酒が好きで、場所中は仕事を早々に切り上げ、近所の友達とちびりちびりと酒を飲みながら相撲を楽しむ小粋な人だったようです。二代目の祖父と三代目の父は、いずれも「仕事は背中を見て覚えるもの」という、職人肌を絵に描いたような2人。そんな先人たちの血を引いているからでしょう。私には生真面目でありながら、いつもどこかに「あるがままでいたい」という想いがあったと感じます。近年では伝統的な墓石だけでなく、インテリアなど石のクラフトづくりにも取り組んでいます。
艶やかな質感に、自然の神秘を感じさせる「斑(ふ)」の美しさ。時代は変われど、石の存在価値は変わりません。しかし、石と人々との出会いの場をどう創出するかは、現代を生きる私たちが考えるべき責任です。庵治半島と石が持つ魅力を、これからも考え続けていきたいと思います。
有限会社 島本石材工業
〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼2424-5
<営業時間>AM8:00~PM5:00
<連絡先>ajiishi@shimamoto-s.co.jp
<駐車場>数台分あり
瀬戸内海に突き出したような形をしている、庵治半島。地図の中心からやや南、五剣山の山麓には、私たちを含む石材加工の職人が古くから住み、全国でも有数の石の街として知られてきました。
その歴史は古く、平安時代後期には京都の石清水八幡宮へ庵治石が運び込まれたとの記録が残っており、少なくとも千年以上にわたって石を採掘してきたとされています。近代になると加工技術が発達し、庵治石は高級石材として日本中に知られるように。20世紀を代表する彫刻家、イサム・ノグチもその素晴らしさに惚れ込み、この地にアトリエを構えました。
庵治石の採石場は丁場(ちょうば)と呼ばれ、五剣山の周囲に三ヶ所が存在します。職人の後継者不足や墓石を取り巻く時代の変化から採石量は落ちましたが、無骨な岩肌を見れば、今なお石を切り出す様子を目にすることができます。
庵治半島の美しいロケーションのもと、地域資源を生かして協業ができる方。また、庵治石の新しい可能性を追求するべく、OEM製品を共同開発できる方を求めています。
私たち自身、近年は墓石として使われなかった石材を用い、「研鑽が紡ぐ庵治石のこれからを」をコンセプトにサステナブルなものづくりに取り組んできました。たとえばインテリア。日常に馴染む幽玄な石のたたずまいを目にし、庵治石の明るい未来を確かに感じ取っています。
それはここ庵治半島も同様でしょう。ただ、あるがままにその美しさを残すふるさと。地元で暮らす私たちだからこそ、人々を魅了するきっかけをご提供できると自負しています。
お問い合わせをお待ちしています。